Pet War
それは、一瞬の出来事でした。
シンの前にぴょん、と飛び出した妹を止める暇はありませんでした。
そうして、シンの妹は、車に轢かれて死んでしまいました。
にゃあにゃあと、シンは鳴きます。
にゃあにゃあにゃあと、いっぱい鳴きます。
雨が降ってきたので、それに負けないように、もっと鳴きます。
妹は、何度も轢かれてぼろきれのようになってしまいました。
それでも、シンの妹なのです。
たったひとり残された、家族なのです。
いっぱいいっぱい鳴いていると、やがて、人間が来ました。
そうして、シンの妹を、袋に入れてしまいました。
にゃあ、にゃあ、にゃあ
シンは、鳴きながら人間の後を追いかけました。
人間は、シンを見下ろしながら、何かを言っています。
「このまま放っておいたら、またこいつ拾いに来る羽目になるよな」
「でも、生きてるのは保健所だろう？」
にゃあ、にゃあ、にゃあ、にゃあ
一生懸命鳴くシンに、後ろから声がしました。
「お前、死ぬ気か」
シンは、びっくりして振り返ります。
そこにいたのは、きんいろの毛並みの仔猫でした。
雨に濡れたきんいろが、とてもとても、きれいでした。
「そんなことをしていると、捕まって殺されるぞ」
そう言うと、その猫はくるりと振り返って行ってしまいました。
わけのわからなくなったシンが、瞬きをしてから妹の方を振り返ると、妹を入れた袋を持った人間が、シンに向かって手を伸ばして来るところでした。
『捕まって殺されるぞ』
にゃあ
死ぬのは、嫌でした。
シンは鳴きながら、きんいろの猫の後を追いました。
一度だけ振り返った妹は、もう、道路の染みしか残っていませんでした。
シンは、一生懸命きんいろの猫を追いかけました。
だって、他にどうしたらいいかわからなかったのです。
でも、たくさん降ってきた雨の中、きんいろの毛並みを見失ってしまいました。
にゃあ
鳴いたつもりでしたが、声は出ませんでした。
手足も凍えて、ちゃんと動かないのです。
水溜りで、べしゃりと転んで。
毛皮の下まで、水が染みて。
どこかで乾かさないと、死んでしまうとシンは思いました。
死ぬのは嫌なのです。
お母さんも、妹も死んでしまったけれど、やっぱり死ぬのは嫌なのです。
そうして、屋根のある隙間に転がり込んで、シンはふるふると水を飛ばしました。
それでも、染みてしまった水は、取れません。
とてもとても、寒いのです。
隙間だと思ったそこは、意外と広くて、シンはどこか狭いところで、毛皮を乾かそうと思いました。
でも、もう足が動かないのです。
にゃあ
死んじゃうのかな、俺。
死んじゃうの、嫌だな。
でも、どうしようもないのです。
座り込んだシンの尻尾が、ぺたりと地面に落ちたときでした。
「どうしたんだ？お前」
すぐ近くで、声がしました。
それは、大きな犬でした。
まだ、小さいシンにとっては、大きな大きな犬でした。
シンは、寒くて鼻がおかしくなって、気がつかなかったのです。
シンが転がり込んだのは、犬の檻の中だったのです。
藍色の毛並みの中、緑の目が、ぎらぎらしています。
シンのお母さんは、野良犬に噛まれて死んでしまったのです。
犬は、とても怖いのです。
「ずぶ濡れじゃないか」
犬の口が、くわ、と開きました。
死んだお母さんは、とても痛そうでした。
シンは、ぎゅうっと目を瞑ります。
怖くて怖くて、もう、なんだかわかりません。
でも、痛いのは来ませんでした。
その代わり、あったかい舌が、ざわりとシンの背中を舐めました。
ざわりざわりと、舐めました。
「下まで濡れてるな・・・あっち行くか？ここよりあったかいぞ」
シンは、答えられません。
犬は、一度首を傾げてから、恐る恐る、シンの首根っこを咥えました。
仔猫を運ぶのは、初めてです。
力の加減が、難しいのです。
そうして、ぽすんと布団の上に下ろすと、その仔猫を、たくさん舐めてあげました。
犬の舌は、あったかでした。
犬の布団も、あったかでした。
それから、シンをまあるく囲んでくれた、犬の毛皮もあったかでした。
シンは、恐る恐る目を開けました。
緑色の目が、じっと、シンを見ていました。
「血の匂いが、するな・・・」
犬の鼻が、シンのほっぺのあたりでふんふんしました。
「妹、が・・・・」
ぺしゃんこになってしまったのです。
死んで、しまったのです。
思い出したシンは、みいみいと泣きました。
みいみいみいと、泣きました。
「そうか。・・・可哀相、だったな」
犬はそう言うと、また、あったかい舌で、シンを舐めてくれました。
シンは、寒くて目が覚めました。
寒くて、でもあったかいのです。
あったかくて、でも、寒いのです。
「・・・・ないか？」
「あなたに・・・・ない」
「しかし、この仔・・・」
話をする声がします。
シンは、あったかいところからもぞもぞと起き出しました。
「ああ。大丈夫か？」
あったかいところは、犬のおなかの下でした。
緑色の目が見下ろして、それから大きな舌が、シンの頭を舐めてくれました。
大きな口も、もう、シンは怖くありません。
「やっぱり、熱があるな・・・水でも飲むか？」
そう言うと、犬はシンの首を咥えて、水のあるところへ連れて行ってくれました。
犬の水飲み場は大きくて、いっぱい伸びをしなければいけませんでしたが、シンは、とても、喉が渇いていました。
だから、頑張って伸びをして、たくさん水を飲みました。
でも、水を飲むと、もっと寒くなってしまいました。
ふるふる震えて、シンは、またあったかい犬のおなかの下にもぐり込みました。
「懐かれましたね」
もうひとつの声は、昨日助けてくれた、きんいろの仔猫でした。
「それはいいんだが・・・なあ、レイ、頼む」
きんいろの仔猫は、レイというのでしょう。
シンは、レイの水色の目をちらりと見ました。
あんまりじっと見るのは、失礼になるからです。
それなのに、レイはシンの目をじっと見ました。
シンは、ちょっとむっとしましたが、怒る元気がありませんでした。
「仕方がない」
レイはそう言うと、ふいっと目をそらして、行ってしまいました。
そうして、何かを咥えて戻って来ました。
レイが持ってきたのは、美味しそうな匂いのする、小さな塊でした。
それを三つばかり、犬の檻の外から、分けてくれました。
レイは、シンよりも少しだけ大きいので、檻の隙間から入れないのです。
「俺はまだ食事の時間じゃないし・・・。それに、犬と猫とでは、餌が違うだろう？」
食べられるか？と、言われて、シンはそれを咥えました。
でも、気持ち悪くて食べられませんでした。
「ごめん・・・」
シンは、呟きました。
せっかく、分けてもらったのに。
「気にするな。俺は気にしない」
レイは、そう言ってくれました。
「あたたかくして、休んでいるしかないな・・・ほら、もっとくっつけよ。そっちは濡れてるだろう。こっちだ」
横になった犬は、シンを軽く咥えて、あたたかいおなかにくっつけてくれました。
犬の匂い怖いけど、でも、あたたかいのです。
シンはそこで、まるくなりました。
なんだか、泣きたくなりました。
「・・・ギル」
不意に、レイが呟きました。軽い足音がします。
「ギルバートは、こいつを助けてくれるかな」
「俺は知らない」
「困ったな・・・」
犬は、本当に困っているようでした。
シンは、もっと泣きたくなりました。
「レイ？、アスランと居るとは珍しいね」
「好きでいるわけではありません」
レイは、ぴょん、と、歩いてきた人間の腕に飛び乗りました。
「こら、レイ。これからアスランを運動に出すのだから・・・」
その人間は、シンを見てしゃべるのをやめました。
そうして、とても厳しい声で言いました。
「アスラン！待て！！」
それは、とてもとても厳しい声でした。
犬は、びくんと身を震わせると、凄い勢いで、おすわりをしました。
それから、ちらりとシンを見下ろしました。
「ギルバート、この子は・・・」
「アスラン！」
犬は、アスランというのでしょう。
アスランは、びくんと黙って、人間の方を向きました。
アスランに放り出されて、シンは寒くて仕方がありません。
そんなシンを、檻を開けた人間が、拾い上げました。
そうして、ばしん、！と、アスランを叩きました。
シンは、びっくりしてしまいます。
「お前は、どうしてこういうことをするんだ」
人間は、アスランをとても怒っているようでした。
「今日は、運動も食事もなしだ」
人間はそう言うと、シンを連れて檻を出ました。
人間の手は冷たくて、シンは思わず嫌々をしました。
あったかいのがいいのです。
アスランのところがいいのです。
「大きな怪我はないようだが・・・どこを噛まれたかわからないからな。レイ、この子を獣医に連れて行くが、お前も来るかい？」
「はい、ギル」
でも、人間はそのままシンを連れて、どこかに行こうとしました。
シンは一生懸命暴れようとしましたが、爪の先が、人間の袖に引っかかった時。
「ギルを傷つけたら、許さない」
レイが、とても怖い声で言いました。
その声があんまり怖かったので、シンは大人しくなりました。
暴れる元気が、あんまりなかったこともありました。
「ギルの言うことを聞いていれば、悪いようにはしないだろう」
そう言われて、シンは本当に大人しくすることにしました。
だって、レイは前にもシンを助けてくれたのです。
酷いことは、しないと思うのです。
大人しくすると、シンはまた眠くなりました。
頭がぐらぐらして、目を開けているのが嫌なのです。
そうしてシンは、獣医で手当てをしてもらっている間、ずっと眠っていて、ギルバートを余計に心配させてしまいました。
次にシンが目を覚ました時、ふかふかとあたたかいところにいました。
どこだろう、と首を傾げて、レイの匂いがすることに気がつきました。
んっ、と顔を上げると、すぐそこに、レイの顔がありました。
「起きたか」
レイはそう言うと、ふんふんと、シンの匂いをかぎました。
シンも、ふんふんとかぎかえしました。
ちゃんと、ご挨拶できました。
「ん。なあ、ここどこ？」
くるりと見回すと、シンの知らない場所でした。
「ギルの家だ。ついでに言うなら、そこは俺のベッドだ」
「あ、ごめん」
シンは慌ててそこから出ようとしました。
寒かったのも、気持ち悪かったのも、嘘のように治っています。
「いい。寝ていろ」
しかし、レイはそれを鼻先で止めて、部屋の向こうに向かって、にゃあ、と鳴きました。
すると、向こうから、シンを拾い上げた人間がやって来ました。
そうしてその人間は、シンを覗き込んで言いました。
「うちの犬が酷いことをしたようで、悪かったね」
えっ、と、シンは思いました。
アスランは、シンを助けてくれたのです。
苛めたわけではないのです。
にゃあにゃあにゃあ、と、シンは一生懸命、彼に説明しました。
でも、全然わかってくれませんでした。
にゃあ・・・
シンが疲れてため息をついたところで、その人間は、ひょい、とシンを抱き上げました。
「丁度、レイの遊び相手が欲しいと思っていたところなんだがね。良かったら、うちの子になるかい？」
シンは、びっくりしてその人間を見上げました。
「名前は・・・そうだな、シンにしようか」
こうして、シンはシンになりました。
ギルバートの猫に、なりました。
その日一日、シンはレイの後を付いて歩きました。
レイは、あまりしゃべらない猫ですが、シンにいろいろなことを教えてくれました。
最後に、ごはんのあるところに連れて行ってくれて、シンは美味しいごはんを、おなかいっぱい食べました。
シンは、生まれてからずっと野良猫だったので、飼われるのは初めてです。
でも、おなかいっぱい食べられるなら、飼い猫も悪くないと思いました。
それから、死んでしまった妹にも食べさせてあげたかったと、少し泣きたくなりました。
そうして、泣いていたシンを慰めてくれた、アスランのことを思い出しました。
ギルバートは、結局アスランが悪くないことを、わかってくれませんでした。
「レイ、外にはどこから出るんだ？」
レイに聞くと、猫用の出口を教えてくれました。
丁度良い狭さの出口を、ぴょん、と出ると、外は、もう夜でした。
でも、シンはアスランの匂いを憶えていたのです。なので、すぐに見つけることが出来ました。
見つけた檻の中、アスランの口には、何か、痛そうなものがはまっていました。
「なんだよ、それ！」
シンは、無理やり檻の中へ入り込みました。
あの時は夢中で気がつきませんでしたが、檻の隙間は、シンが通れるぎりぎりくらいの狭さでした。
シンは、アスランの口に飛びついて、その痛そうなものを外そうとしましたが、まったく爪が立ちません。
その上、アスランは鼻先でぐいぐいとシンを押して、檻の外に出そうとします。
シンは怒りました。
「なんで怒んないんだよ、あんた、俺を助けてくれたのに！」
なのに、こんなひどいことをされているのです。
怒って当たり前なのです。
でも、アスランは困ったように首を傾げるばかりでした。
それから、ほんの少しだけ開く口から、あったかい舌を少しだけ出して、シンの前足を舐めました。
シンは、興奮して爪を出してしまったので、赤い舌が、血でもっと赤くなってしまいました。
アスランの血の色は、シンのお母さんや、妹と同じ色でした。
それが怖くなって、シンは、そこを逃げ出しました。
そうしてレイのベッドにもぐり込んで、みゃあみゃあと泣きました。
レイは黙って、シンが泣き止むまで、ベッドを貸してくれました。
「・・・なあ、なんでギルバートはわかってくれないのかな」
泣き止んだシンは、まだぐずぐずとしながら、もともとギルバートに飼われていたレイに聞いてみました。
「あの状況なら仕方あるまい」
レイは、淡々と答えます。
「でも、だって。あんなので口塞がれて。檻、入れられて・・・」
「口はともかく、アスランはいつも檻の中だぞ」
「え・・・なんで？」
シンは、びっくりして顔を上げました。
シンは、自由な野良猫でした。
あんな狭いところから出られないなんて、考えたこともありません。
「犬はそうやって飼うものだからだ。それに・・・」
レイの水色の目が、ぎらりと光って怖い色になりました。
「あいつは、閉じ込めておかないと、逃げ出すからな」
「なんで・・・」
聞こうとして、やめて。シンは耳を伏せながら、違うことを聞いてみました。
「レイは、アスランが嫌いなのか？」
それはちょっとかなしいな、と、シンは思いました。
だってシンは、もうレイもアスランも大好きだからです。
「アスランは、一度、ギルバートを裏切っている」
だから嫌いだ、と、レイははっきりと言いました。
シンは、もっとかなしくなりました。
「裏切ったって？」
「言っただろう、ここを逃げ出そうとしたんだ」
「だって、閉じ込められたら嫌だろ？」
「俺はかまわない。ギルがそうするなら、従う。・・・お前も」
レイは、怖い声で、シンに言いました。
「ギルを裏切ったら、許さない」
「・・・・うん」
シンは、こくんと頷きました。
だって、シンはもう、ひとりぼっちは嫌だったのです。
シンは、妹によくしたように、レイのほっぺたにすりすりしました。
レイは、いったんためらってから、すりすりし返してくれました。
「あんた、脱走しようとしたんだって？」
シンは一度、アスランに聞いてみました。
「もう、しないよ。ここから出ても、もうキラには会えないんだから」
キラというのは、前の飼い主だとアスランは言いました。
とてもとても遠くへ行くので、アスランを飼うことが出来なくなったのだと。
「あの時、俺はそれがわからなくて。ここから逃げて、家へ帰って」
でも、誰もいなかったんだと言ったアスランは、シンを見ないでまるくなりました。
シンは、なんだか悔しくなってアスランの大きな足を引っかきましたが、アスランは何も言いませんでした。
それから、毎日きちんとごはんをもらったシンは、そのうち、アスランの檻へ入ることができなくなってしまいました。
野良猫だったシンは、痩せていたので檻の隙間を通ることが出来たのです。
なので、アスランとは檻越しに話をすることしか、できなくなりました。
でも、アスランはあまりしゃべらない犬なのです。
その上、いつもいっしょのレイが、アスランを嫌いなこともあって、シンは、アスランに会うことが少なくなりました。
遠目に見るアスランは、いつもひとりぼっちで、ギルバートに撫でてもらうと、嬉しそうに尻尾を振っていました。
シンも、アスランを撫でられるかなぁと前足を見ましたが、その前に、アスランの方が大きいので、無理なのでした。
檻の中にも入れないので、無理なのでした。
そうして、シンもここでの暮らしに慣れて、妹やお母さんの夢も、あまり見なくなってきました。
そんな、頃でした。
シンは、レイと庭で日向ぼっこをしていました。
レイはきちんと丸くなっていますが、シンはおなかを出して、ごろごろしていました。
だって、あったかくて気持ちがいいのです。
「お前、野良だったとは思えないな」
レイが言いましたが、シンは気にしません。
レイも、別に気にしているわけではないのを、知っているからです。
遠くで、アスランがちらりとシンたちを見て、ちょっとだけ笑ったのが見えました。
それがわかったシンは、なんだかもっと気持ちが良くなって、うとうとし始めました。
さっき、おなかいっぱいごはんを食べて、とても眠たいのです。
今日の缶詰は、鳥のささみで、とても美味しかったのです。
それは、レイも一緒だったのでしょう。
さんさんと日が射して、本当に気持ちの良い日でした。
だから、気持ちよく眠ってしまったシンは、アスランがわんわんと鳴きだすまで、何が起こったのか、わかりませんでした。
「レイ！シン！逃げろ！！」
シンもレイも、びっくりしてしまいました。
猫は、びっくりすると固まってしまうのです。
なので二匹は、アスランではない犬の匂いがしても、すぐには動き出せませんでした。
知らない犬が、三匹も、体を低くして近づいているのです。
わんわんわん！とアスランが鳴きます。
大声で、あっちへ行けと言っています。
野良猫だったシンは、すぐに固まったのが解けて、近くの塀へ飛び上がりました。
塀はあんまり高くないけれど、それでもまだ、安全です。
しかし、レイはそうはいきませんでした。
シンは、レイが噛み付かれるのを、塀の上から見ていました。
血が出ていました。
お母さんの時と、同じでした。
妹の時と、同じでした。
「レイ！」
シンは、無我夢中で、犬をめがけて飛び降りました。
鼻を思い切り引っかかれた犬は、すぐにレイを放しましたが、大きく首を振って、シンを振り落とそうとします。
地面に落ちたレイにも、他の犬が噛み付こうとしています。
シンは、一生懸命犬の鼻に噛み付きますが、犬はもっと暴れるだけなのです。
このままでは、レイがお母さんのようになってしまいます。
シンも、殺されてしまいます。
どうしよう、と、シンは思いました。
どうしようどうしようと、頭の中が、真っ白になって、また、固まってしまいそうになりました。
その時です。
がしゃあん！と、凄い音がしました。
「シン、離すなよ！」
信じられないくらい近くで、アスランの声がしました。
それから、レイに噛み付こうとしていた犬が、もの凄い勢いで吹っ飛びました。
アスランに言われなくても、離したら死んでしまうのです。
だからシンは、一生懸命犬の鼻にしがみ付きました。
ギャン！と大きな声がします。
ウーわん！と吠える声もします。
とてもとても、怖いのです。
「シン、離せ！」
でも、アスランに言われるまで、シンは犬の鼻を離しませんでした。
離したとたん、吹っ飛んでしまいましたが、くるんとまわって上手に着地ができました。
キャン！と、痛そうな声が聞こえます。
アスランが、シンがしがみ付いていた犬に噛み付いていました。
でも、アスランの足には、違う犬が噛み付いているのです。
血が、たくさん出ているのです。
地面に転がったレイからも、たくさん出ているのです。
「こいつ、強いぞ！」
「猫から先にやっちまえ！」
「やらせるか！」
わんわんわん！と吠え合う犬に、シンは慌てて、レイの首根っこを咥えて、ずるずると安全そうなところへ引っ張って行こうとしました。このままでは、噛み付かれなくても踏み潰されてしまいそうです。
でも、犬はもう一匹いるのです。
その犬に噛まれそうになって、シンはフーッ、と尻尾を太くして威嚇しました。
爪を出して、引っかこうと頑張りました。
そうして犬が少しためらっているうちに、アスランが来てくれて、その犬に飛び付きました。
「早く・・・逃げろ！」
シンは、一生懸命レイを引っ張りました。
アスランも、一生懸命戦いました。
「ギルバート！いないのか！？」
アスランが、一際大きく吠えたときでした。
「アスラン！？」
ギルバートの、声がしました。
レイが少しだけ、目を開けました。
「人間だ！」
「どうする！？」
「だからあっちへ行けと言っているっ！」
シンに噛み付きそうになっていた、自分より大きな犬に体当たりし、アスランは大きく吠えました。
足がよろけていましたが、それでも耳と尻尾がぴんと立って、とてもとても強そうでした。
それを見た犬は、やっと、逃げていきました。
ほっとしたシンは、レイを抱き上げたギルバートにしがみ付きました。
「なあ、レイ大丈夫だよな？、アスラン、大丈夫だよな！？」
「ああ、お前も血が出ているね」
確かに、前足の爪から少し血が出ていましたが、このくらい何でもないのです。
「こんなの痛くないよ、レイとアスランのがずっと痛いよ！」
それからシンははっとしました。
ギルバートはまた、アスランが悪いと思うかもしれないのです。
「アスランじゃないんだ、アスランは俺たちを助けてくれたんだよ！」
にゃあにゃあにゃあ、と、一生懸命に鳴くシンの頭を軽く撫で、ギルバートはアスランにも声を掛けました。
「アスラン、大丈夫かい？」
「・・・大丈夫、です」
アスランは、きちんとお座りしてそう答えました。
でも、あんまり大丈夫そうではないのです。
「すぐ、医者に連れて行ってやる」
そう言って、ギルバートはアスランの頭も撫でてくれました。
地面に落っこちていたアスランの尻尾が、一度、嬉しそうにぱたんと揺れました。
レイはおなかを噛まれていましたが、牙が深く入っていなかったので、すぐに元気になりました。
「お前のおかげだ、礼を言う」
レイはそう言って、シンのほっぺたを舐めてくれました。
シンも、前足の爪が、何本かぐらぐらになってしまいましたが、たいしたことはありません。
「礼ならアスランに言えよ」
シンはそう言って、レイのほっぺたを舐め返しました。
アスランは、犬に噛まれた怪我も大変ですが、体当たりで檻の扉を破った時の怪我が、大変なのだそうです。
そんな体で、アスランは、シンとレイを守ってくれたのです。
アスランは今、玄関に新しいお布団をもらって休んでいます。
なので、シンも、レイも、簡単にお見舞いができるのです。
「アスラン、具合どう？」
「痛くないよ。大丈夫だ」
アスランはそう言いましたが、あまり元気な声ではありません。
シンが来たのに起き上がりもせず、ぐったりと横になっています。
「ほんとかよ」
シンはそう言うと、ふんふんと、首のあたりの匂いをかぎました。
そこには包帯が巻いてあるので、薬の匂いがたくさんしました。
薬の匂いは怖いので、あんまり匂いのしない、おなかにすりすりすると、アスランはくすりと笑いました。
「あったかいな、お前」
そうして、シンの頭を舐めてくれました。
アスランは、口の中まで薬の匂いがして、シンの耳はふるふるしてしまいましたが、我慢しました。
「何故、俺を助けたんです」
レイは、あまりアスランに近づきません。
少し離れたところに、すわっています。
「助けるだろう、普通」
アスランは、少しだけ頭を上げて答えました。
「俺は、あなたのそういうところが嫌いです」
レイはそう言うと、すうっ、と近づいて、アスランのほっぺたに、一回だけ鼻先を寄せました。
それから、ふい、と行ってしまいました。
「なんなんだ？あいつ」
シンは首を傾げましたが、アスランはまたちょっとだけ笑って、シンの頭を舐めました。
「・・・アスラン、薬くさい・・・・・・」
耳を伏せたシンが、思わず呟くと、アスランは情けなさそうな声でごめんと言って、シンがもぐり込んだおなかごと、まるくなりました。
まだ少し薬の匂いがしましたが、あったかくて気持ちがいいので、シンはここで、少しお昼寝することにしました。
それから、シンは毎日、アスランのおなかでお昼寝しました。
シンのお昼寝は、アスランの怪我が治って、檻に戻るまで続きました。
「で、あんたなんでそこ入ってんだよ」
檻に戻ったアスランを見て、シンは不機嫌そうに言いました。
「犬は、放し飼いにしてはいけないんだよ」
もの凄く基本的なことです。
それが、シンには気に入りません。
「あんたの怪我治ったら、喧嘩のし方、教えてもらおうと思ってたのに！」
シンは、檻の隙間から前足を突っ込んで、ぶんぶんと振り回しました。
これでは教えてもらえません。
「俺、あんたみたいに強くなりたいんだ。強くなって、レイやギルや、あんたを守れるようになりたいんだ」
シンがアスランのように強かったら、お母さんも妹も、助けられたかも知れないのです。
でも、そんなことを言われても、アスランは困ってしまいます。
「・・・だって、お前、猫だろう」
「関係ないだろ！」
大ありです。
「俺は、犬だし・・・」
「だからカンケーないだろ！！」
大ありなのです。
アスランは、犬の戦い方しか知りません。
猫のシンに、教えてあげることはできないのです。
「だから、お前猫だし」
「だからカンケーねーっつってんだろ！！」
しゃーーっ！と、シンは怒りました。
うーん、と、アスランは考えました。
それから、ひょい、と、前足を出しました。
そうして、檻にしがみ付いて、ぶんぶん振り回されている前足ごと、シンを、ころんと転がしてしまいました。
ちょっと爪が引っかかりましたが、アスランはあまり気にしません。
「っ、こっのー！」
シンはまた、檻越しに、アスランに挑みます。
アスランは、困りながらもまた、前足を出しました。
今度はバリバリやられましたが、また、ころんと転がします。
「くっそー！」
シンは、大騒ぎです。
「・・・何をやっているんだね、あの子たちは」
「知りません」
呆れたようなギルの声に応えながら、レイはちょっとあの二匹が羨ましいなぁと思いました。
でも、ギルが抱き上げてくれたので、すぐにそんなことはどうでも良くなりました。
しかし、放っておくと、アスランの前足が大変なことになってしまいそうなので、ちょいちょい、とギルの手をつついて、にゃあ、と鳴きました。
「ああ、本当だ」
ギルバートは、レイの言うことはわかるのです。
「こら、シン。アスランにまた怪我をさせるつもりかい」
ぽん、とギルバートに頭を撫でられて、シンは、みゃ、と前足を止めました。
興奮していたので、爪がしっかり出ています。
「でもだって、アスランが・・・そうだギルバート、アスラン出してくれよ。喧嘩教えてもらうんだ！」
にゃあにゃあにゃあ、とシンはお話しますが、ギルバートは撫でてくれるばかりです。
アスランは、ちらりと檻の扉を見ました。
実は、扉に掛け金が掛かっていますが、今までは掛かっていた鍵が、掛かっていないのです。
アスランが鼻先でつつけば、すぐに外れるようになっているのです。
でも、この高さだとシンにも届くなぁとアスランは思いました。
シンがおなかにもぐり込んでくるのは、あったかくて好きなのですけれど、毎日こんなふうに騒がれたらたまりません。
アスランは、シンが気がつくまで、黙っていることに決めました。
しかし、アスランが掛け金から視線を外すのを見たレイは、ぴょん、とギルバートの腕から飛び降りました。
そうして、檻の扉に飛びつきました。
「シン、鍵がない。こうすれば開くぞ」
「うわマジ！？」
「レイっ！」
猫たちになだれ込まれて、アスランは困った顔をして、ギルバートを見上げました。
でも、ギルバートは、笑って見ているだけでした。
アスランの、あったかいおなかに飛びつきながら、シンは思います。
お母さんも妹もいなくなってしまったけれど、シンには、アスランもレイもギルバートもいます。
だから、とっても幸せなのです。
シンは、幸せな猫に、なりました。
えーと、下手なこと書いちゃったので、世の野良わんこが誤解されないために一言。
たいていの野良犬は、その辺の飼い犬よりフレンドリーで良い子が多いと思います。生活ってか、命かかってるし。
もちろん下手にかまうと危険ですが、そんなん飼い犬も一緒なので、一応。